法話

トップ > 法話 > 今 (いま)  2006/5/26

今 (いま)  2006/5/26

「今を大事に生きる」
 「今を精一杯生きていこう」
このセリフ、口にされたことありませんか?
もちろん、私は口にしたことがあります。

しかし、大事に、精一杯生きるとはどういったことなのでしょうか?

ここでいう「今」とは、まさにこの時、この一瞬。二度と繰り返されることのない、そしてたった一度きりしかない「今」ということであります。
それを大事に精一杯にと言っている方が、誰しも明らかに手を抜いたり、全く無意味に過ごしているのではない、と私は思うのです。
私は、寝ているだけで一日が過ぎたこともあります。自分自身では、明らかに手を抜いた一日だったと思う日もありました。
しかしながら、それはそれで、じゃあ大事にしていないのか?精一杯生きていないのか?と問われたら、実はそうではないように思うのです。 

私は、かけがえのないこの時間(とき)に意味を見出しながら生きていくことが「今を大事に生きる」ことなのではないかと思うのです。
喜びや楽しみはもちろん、苦しみや悲しみに出会った時にただ通り過ぎるのではなく、そこに自分なりの意味を考えていけたらそれは素晴らしいことだと思います。

阿弥陀さまは、この私の「生」と「死」というものに意味を見出して下さった仏さまです。「あなたの命を輝かせたい。そして、その命はただ死んで終わって逝くだけじゃない。お浄土に生まれて往く命なんだよ。」と
それまで「生」や「死」というものを真剣に、深く考えず避けることばかりしていた私にお示し下さったのでありました。これは私にとって、ただ単語ではなく、その言葉の持つ意味を転換して下さったのです。
そして、そのおはたらきが「今、ここで、この私」に南無阿弥陀仏という言葉の阿弥陀さまとなって私と共に歩んで下さっていたのです。

多くの命に支えられ、多くの願いやはたらきの中で生かされてあるこの身だと気付かされるとき、お念仏がじわじわと沁みこんで下さるのです。
                                   釋光乗